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母校(高校)の同窓会に出席して…

2025.11.05

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10月のある土曜日、出身高校の同窓会に出席しました。わたしは大阪生まれの大阪育ちです。したがって母校も大阪府立清水谷高等学校という名称の府立高校です。今回開催されたのは、東京大手町の会場でした。何故?と思われるでしょうが、首都圏地区在住者の会だからです。

 

そしてこの同窓会は首都圏在住者で卒業年次関係なく、各期の卒業生が集まります。今回は、全57名の出席でしたが、戦後、共学になってからの10回生が最年長の出席者でした。わたしが、現在72歳で戦後の23回生なので、85歳か86歳の方になります。最若年が49回生で46歳、全体的に高齢化は否めません。元々、大阪の高校で、首都圏にいる卒業生の把握がなかなか簡単ではないという事もありますが、若手卒業生の出席が望まれます。

 

戦後、共学になりましたが、戦前、この清水谷高校は名門女学校でした。大阪府でも女子教育の要望が高まってきた明治33年(1900年)に大阪市立第一高等女学校(現在の大手前高校)、大阪市立第2高等女学校が創立(1901年に清水谷高等女学校に)されます。

戦後、新制高校になり、1947年の学校教育法6・3・3制に従い、当時の男子校高津高等学校と交流し、共学になります。

 

この伝統ある高等学校の同窓会が清水谷という名前からとって清友会という名称です。従ってこの首都圏における同窓会は清友会東京支部という形で運営されています。女学校時代の卒業生の中には、川島紀子(いとこ)さんー皇室の紀子様の母方のお祖母さまがおられ、ご存命の折は、この同窓会にも来られていました。人目で紀子様のお祖母様と分かるお顔で、いつも和服でしたが、とても腰の低い方でした。他にも岡田幾子さん(三越の岡田茂氏の奥様)など、著名人が多くおられます。戦後の卒業生で最も有名なのは、俳優の豊川悦司さんですが。

 

そのような名門校でしたが、私達の代あたりから、あまり勉強しなくなったのか、進学先もやや淋しいような状況でした。高校三年生時に70年安保でバリケードストライキを行い、機動隊が入るというような事もありました。しかし、当時としては自由な気風もあり、クラブ活動も体育・文化系どちらも盛んでしたし、わたし自身この3年間は軟式野球部に所属しながら、複数のバンド掛け持ちで演奏しているという事で、大変充実していました。いまだに大阪に戻った時には一緒にゴルフをしたり、食事をしたりしています。還暦時にも一昨年の古希の際も大阪でライブを行いましたが、同窓生が数多く来てくれました。卒業後54年ですが、いくつかのグループLINEで情報交換もしています。

 

というような名門校ではありますが、維新が大阪府政を握って以来、私立高校の無償化を実施。そのため、公立高校の多くが、生徒数の減少となり、定員割れの公立高校が多数発生、伝統ある高校が閉校になるという事態になっています。私学の無償化をすれば、経済的に余裕のある家庭では、塾など学校外にお金が回る事になっており、経済格差に対して決して有効な手段とは思えません。少し、話がそれますが、維新の府政、市政で学校だけでなく、公立の病院も相当数閉鎖・廃業に追い込んだ事からコロナ全盛時に病院・病室不足が少なからず発生しています。

 

我が清水谷高校もその嵐により、一時は定員割れ寸前までいったようです。しかし、前校長―この方は教員免許を持っていない、民間企業からの登用―日笠 賢氏の大胆な改革で再び中学生からの人気を取り戻しました。また、在校生及びその保護者の皆さんからの信頼度も非常に高い数字となっています。

(わたしの母親は、あまりにもわたしが勉強しないもので、もう公立はダメだと、弟は中高一貫の私学に進学させました。結果的には兄弟とも同じ大学に進学していますが)

 

その改革内容は、まず制服です。女子は伝統的なセーラー服で「清水谷ブルー」と呼ばれる青いカラーでわたしの在籍時は他校生徒からも人気がありました。当然全員スカートでしたが、それを必ずしもセーラーではなく、ボックスというかブレザーでスラックスもOKという形式になりました。実は、この改革には男子卒業生の抵抗?が予想されるという事だったようですが、校長自ら清友会の幹部と交渉し、押し切ったようです。男子もいわゆる学ランでない、ブレザーOKにしたら、一気に学ラン生徒は絶滅危惧種状態になったそうです。基本的に学ランは冬寒く、夏場暑くて着心地の良いものではありません。

もちろん、ビジュアルでわかりやすい制服案件ですが、本来的な授業に関する改善や校舎・教室・体育館等の環境整備などに懸命に取り組まれてきたようです。

 

結果として、少子化と維新の政策により、減少一途をたどっていた応募者が増加に転じ、今年度の応募倍率は1.22倍で、府下では2位と僅差の3位になっています。ちなみに半数近い公立校が定員割れになっている中での高倍率です。

 

卒業した母校が無くなってしまうのは、本当に淋しい事です。そういう意味では、応募者が増えている事は喜ばしい事ですし、また新たに東京支部の同窓会にも若い卒業生が参画してくる事を期待しています。今回参画した比較的若い人達もその内容には満足されたようで、来年には首都圏にいる同期の人達を誘ってきていただきたいものです。

 

このように公立高校ですら、改革し、過去をある意味捨てる事も含め良いと思われる事は実行していかなければなりません。ましてや、国や自治体の政策が歴史を後戻りするような事は無くしてもらいたいものです。せっかく先人たちが獲得してきた民主主義、女性の立場やマイノリティの人達の権利などを、否定されるような事はあってはならないと思います。

また近頃の排外主義の人達の言い分をSNSなどでみていると、今NHKの朝ドラで放映されている、ラフカディオ・ハーン先生を迎えるにあたり、抵抗している明治20年代の松江の人達の態度・文言に戻っているかのようで、とても残念です。

以上